世界に蔓延するワクチン開発の政治利用

wakuchin

上図の動画はこちら:https://www.youtube.com/watch?v=QsdLxrLpLAM&t=101s

米国は大統領選挙を控えワクチン開発を急いでいる。ロシア、中国も覇権を争い友好国へのワクチンの優先供給を取引材料に使っている。英国、フランス、日本もコロナによる経済の激しい落ち込みをカバーするためこれに賭けている。

世界の製薬企業は政治圧力をかわしながらも、千載一遇のビジネスチャンスを逃すまいとずるかしこく立ち回っている。

一方、各国国民は藁をもつかむ思いで期待を膨らませている。こんな状況では、騙されても自業自得と云うほかない。(そうは云っておられない事情については末尾、過去の投稿を参照)


ところで選挙が年内だと噂されている中、与野党の対決がどうなるか気がかりだ。

野党は「消費税減税」を前面に出して闘う姿勢のようだ。しかし同時に、与党が「消費税減税」を言い出したらどうするのか?

自民党にはMMT論者が多数いる。苦し紛れで「消費税減税」を言い出す可能性は十分ある。現内閣の次の内閣なら公約としてこれを掲げる可能性はなおさらだ。

特に菅政権は「改革」の名のもとに超金融緩和を捨てきれず財政再建の意識は殆どない。「改革」=「規制緩和」=「QEの更なる促進」の方向が見えている。

「消費税減税」に拘るのは単なるポピュリズムではないか?

ポピュりズムならそれを道具として利用する術は政権側の方がはるかに長けている。


今野党が重点的に取り組むべきは「コロナ対策」だ。与党のコロナ対策は必ず失敗する。ワクチン依存で、有効なコロナ対策が見られないことが彼らの最大の弱点だ。

第3波は必ずやって来る。この冬が最大の脅威となり日本が死者激増のピンチを迎えるとワシントン大学医学部のIHME(保健指標評価研究所)予測している。特に北半球では日本が危ないと厳しい予測を発表している。

死者が激増し2021年の年初までに控えめに見ても10万人に及ぶとの驚異の予測だ。

同研究所は現在まで欧米の予測ではほぼ的中させている。

野党はこの辺の知見が乏しく、もっと勉強が必要だ。ワクチンの分類と特性、作用機序、開発の実情については殆ど無知だ。関心がないとしか思われない。


ワクチンに関する、判断基準を述べた過去の投稿を掲載しておく。

ワクチンに関する報道を見ると肝心な視点が抜けていることに気づく。

第一に、他の報道も含めどれを見ても、変異への対応についての記述が見受けられない。今や新型コロナウイルスは変異することが世界の専門家から多数報告されている。変異した場合そのワクチンは有効かどうか。また地域によって有効性が異ならないかなど無視できない重要な要件だ。

第二に、ADE(Antiboy Dependent Enhacemennt=抗体依存性感染増強)、要するに抗体が逆に病状を悪化させる事例が報告されているが、その危険性はないのか。これもワクチンの安全性を判断する重要な要件だ(ADEについては先の投稿でも説明している)。このような重要な条件を書き漏らしているのは故意か不作為かわからないが、この要件が漏れている報道は全く信用出来ない。


ワクチン開発者「自分だったら怖くて打ちたくない」

「ワクチンを打たないという選択肢もあると語るのは大阪大学微生物病研究所教授の松浦善治氏である。松浦氏はワクチン開発に携わっているが、自分だったら今の状況では怖くてとても打ちたいと思いません」と語る。なぜワクチン開発者が「ワクチンを打ちたくない」と言うのか。

 新型コロナワクチンの大きな特徴のひとつは、その種類の多さだ。不活化や生ワクチン、組み換えタンパクワクチンに加え、DNAやメッセンジャーRNAなど核酸を使った遺伝子ワクチンや、アデノウイルスなどほかのウイルスを運び屋にするウイルスベクターワクチンもある。ひとつの感染症に対してたくさんの種類のワクチンがあるという事態に、私たち人類は初めて直面することになる。もしも選べるとしたら、どのような視点でワクチンを選べばいいのだろうか。

  最前線の研究者たちの話を聞くうちに、ワクチンさえできれば流行が収束に向かうといった見通しの甘さに気づかされた。

以上、文芸春秋10月号より

(今回は連休につき繰り上げ投稿いたしました)


これからの「激動の一年」をどう生きるか

9月4日に、決して無視できないニュースが飛び込んできました。

ワシントン大学のIHME(保健指標評価研究所)が新型コロナウイルスの最新予測を発表し、今年の冬に全世界で280万人前後が死亡する恐れがあると明らかにしました。

IHMEの最新予測によると、現在の感染状況と冬にコロナウイルスが活性化する特性を考慮した場合、2021年1月1日までに全世界の死者数は280万人に達する可能性があり、日本においても12万人前後の死亡者数が予測されるとのことです。

日本は11月以降に死者が指数関数的に増え、1日あたり死者数は10万人あたり3人(=毎日3700人が亡くなる計算)に達し、米国の水準を一気に飛び越えるシナリオ。

以上は最悪の予測だが、ロイターなどは2021年1月1日までの最悪のケース、最もありうるケース、最良のケースの累計死亡者数を提示しています。ここでは日本の数値だけを下記します。

最悪のケース 287,635
最もありうるケース 120,514
最良のケース 104,808

最良のケースでも来年の初頭までに現在累計死亡者数1454の72倍となる驚異的予測です。


これからの政治の方向性を見極め生きる道を探す

現時点では、コロナの感染がスローダウンしていることは事実でしょう。これに便乗して経済に重点を置く政策をとることは明白です。

オリンピックを強行する、そのためにはワクチンに過大に期待をかける。結果としてコロナ対策がおろそかになる。

一方GDP年率28.1%減、個人消費7.9%減、コロナ倒産2月~8月累計500件、企業収益27.4%減、貿易収支の悪化、日銀のバランスシート債務超過寸前、第3次補正予算合計90兆円、米格付け会社S&P日本国債格付け引き下げ、等々破綻要因満載。

注意をそらすため敵基地攻撃能力強化に力を注ぎ、防衛問題に国民の目を向けさせる戦略でしょう。

一方、野党はどうだろう。149名の大野党の対抗力はどうだろう?。

平野貞夫氏(元参院議員、衆院事務局に入り、副議長園田直秘書、議長前尾繁三郎秘書などを経て委員部長となる。92年参院高知地方区で初当選し、2期務める)に聞いてみた。

新野党の綱領は素晴らしい読んで見るべきだ、小沢一郎が表に出て本気度を出すだろう。期待できるのではないか。「野党はだらしがない、頼りにならない」はもうやめた方がよい。とのことでした。

枝野氏は新立憲民主党代表就任と前後して横浜に出向き、菅氏の地元での支持母体と云われる横浜港運協会の藤木会長に会ってカジノについての考え方を確認しております。藤木氏のカジノ反対の姿勢はは全く変わってはいないと云うことでした。

GO-TOキャンペーンでも、検査をして検査結果をもって宿泊先に行けば安心して受け入れられることは明らかです。経済活動の原点は「検査・検査・検査」のはずです。それなくしては経済破綻を避ける道はありません。


nichigin

日銀の貸借対照表見ると、資本の部が異常に少額であり、資産の合計額に対し過小となっています。この自己資本比率は、一般企業では債務超過の危険信号と見られております。

注)自己資本比率は、保有する全資産のうち何割が返さないでいい資金でまかなわれているかを見る指標です。
当然に比率が高い方が安全ということになります。
50%超  優良
50%以下30%超 良好
30%以下10%超 普通
10%以下0%超  注意
0%以下  危険

上のバランスシートの通り、令和2年8月31日現在の日銀・資本金勘定(純資産)は、引当金勘定:6.4兆円、資本金:1億円、準備金:3.3兆円、小計9.7兆円であり、自己資本比率:自己資本/資産合計は1.4%です。つまり危険に極めて近い状況です。

しかし中央銀行は一般の民間会社とは異なり、国際的基準があるのです。バーゼル規則と云って他の要因も加味したものでなければならないのです。

日銀のバランスシートについては資産の部では国債の保有額が過多であること、保有する社債・金銭信託(ETF等)のリスク資産が多額であることなどから、世界の金融変動に対応できる余地が少ないと判断され国際的な信用低下につながります。

これから言えることは明らかに債務超過のリスクが高まっているにも関わらず、中央銀行が債務超過に陥ることはあり得ません。日銀法、財政法、バーゼル規則などにより厳しく縛られているからです。

資産の膨張を抑えること、リスク資産を制御(一部売却)すること、負債の内容を改善しこれ以上膨らませないこと、等々です。

結果として、日銀は政府のお財布(打ち出の小槌)の役割を断念するしか生きる道はなさそうです。当然QEの出口戦略に向かわざるを得なくなります。連動して政府は緊縮財政に向かわざるを得なくなるでしょう。

この動きが遅くなればインフレ政策も無効となります。つまり国民にツケを回すことも出来なくなるでしょう。政治家はうまみがなくなり淘汰されるでしょう。権力にすり寄っても旨味がなくなります。

ボランティア的、純粋な政治家が台頭してきます。コロナは社会を変革する力を持っていたことにお気づきでしょう。この大変動は4~5年のスパンで起こるに違いありません。

以上が、夢物語に終わらないことを願うのみです。


伊丹万作氏の言葉「一億総懺悔、再び」

そして騙されたもの罪は、ただ単に騙されたと云う事実そのものにあるのではなく、あんなにも造作なく騙されるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるような形となってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

これは第2次大戦の反省を呼び戻す必要が現代にあることを示唆したものでしょう。

関連して、林木林(はやしきりん)の詩をもう一度思い返してください。

はるか頭上を過ぎゆく雲は、今日も呟く。

「誰かにとって都合のよい嘘が世界を変えてしまうことさえある。

だからこそ、なんでもたしかめよう。

あの高くそびえる山は、本当に山なのか。
この川は、まちがった方向へ流れていないか。
皆が歩いていく道のはてには、何が待っているのか。」

雲の切れ間から、澄んだ光が地上を照らした。